冥土のみやげに聞かせてやろう。<再掲>
当方らのカッコよさの基準は楠本〇夫くんにあり、突然上級生を殴ったり、通りがかった当方のクラスメートを蹴ったりと意味不明ながら、勉強は学年トップクラス、かつスポーツ万能で、口数少なく、教員から「喋らない病気」と折り紙を付けられ、クラス委員長に勝手に選ばれ、で何もせず、学外では箍を外しやりたい放題であった。全校朝礼で何度か悪さの注意があったが、あれは全て彼、と当方ら。
大阪の外航船舶代理店時代は、二十代初めの若さながら、海上保〇庁では楠さんと呼ばれ、社内でもそう呼ばれ、関係先や外国人から一目置かれていた。特に何かやっていた訳ではなく、逆に何もやらず、行動がスマートでリッチであった。その後アメリカに単身留学し、ついでに北米大陸を数年間旅し、帰国後はE〇Cの英語講師を経て、講師を雇い多科目の進学塾を経営していた。生き方がシンプルで清々しい。
このカッコよさには、盗人連中が百人束になっても敵うまい。悪口ではないが、連中がどったんバッタん盗みまくり、それを元手にごちゃごちゃ目立ちたがるのを見るたびに、バッカみたいで笑える。悪口ではない。
メール写し今村雅史くん、スッポン焼酎連、同期生一同