
インターネットTVが全てを変える 2
天神山北麓の東山町に海軍墓地があり、NHK『坂の上の雲』に登場する、日清戦争で捕獲した清の戦艦『定遠』の巨大な主砲弾が鎮座している。ここは子供の頃の遊び場の一つで、当時は戦艦大和の砲弾と聞いていたが、とにかく大きく、堪ったもんじゃない。
太平洋戦争中、標高136メートルの天神山一帯が海軍の高射砲陣地だったらしく、敗戦の一ヶ月チョイ前、アメリカのB29爆撃機131機の大編隊から二時間余に渡って、焼夷弾等で絨毯爆撃され、1300人超が死亡し、佐世保市街全域が焼失壊滅し、天神山麓の大宮町も例外ではなかった。
その後母は両親らと大宮町から天神町に移転したため、大宮町には詳しく、これが大宮町(福栄会)商店街TVのきっかけの一つ。
当方らは団塊の世代の中でも一番人数が多く、大宮町の二代目店主の大半が同期生で、中学三年の時はクラスの仲間らと毎日ここを通り、クラスメートの店で揚げたての天ぷらを買い、銭湯に入り、防空壕横丁でうどんを食い、全員を送り届けた後、当方一人テクテクと天神山の夜道を上って帰った。
当時、天神山を越えて大宮町に出るのが粋で、青空を見上げて上り、てっぺんの芝生で寝転び、急斜面を一気に下って行った。単に『行こうか』の一言で動き、大宮町は安心感があり、心地良かった。
大宮町のメガネやは同級生で、天ぷらやはクラスメ―ト、公園横の魚やしかり、角の果物やや、表通りの洋服や、同じ運動部のKが畳やで、、、他にもゾロゾロいて、軒並同級生ばかりで、今でも多分あそこの最大人口を同期生で占めているはず。
大阪から転職した先の長崎の会社の社長も当時は大宮町のど真ん中に住んでいて、兄の友人で、お邪魔したこともある。奥さんもココ。
なので、あそこん役員連中がエラそうにしているが、元々は当方らのシマであり、連中は居候の分際で、元の大家に対し口の利き方を知らない。
高校へは天神町からバスに乗り大宮公園前で乗り換えていたため、公園は天神町の生徒の溜り場。後にヤクザの親分になったMらと、ここで毎朝たむろし、生徒で満員のバスを次々と見送り、最後のバスに飛び乗った。Mが上下黒で統一し、金のネックレスをつけ、金のブレスレットをつけ、両手の親指を除く全指にパンチ用の指輪を付け、当時斬新な頭の両側を薄く剃り、上等のサングラスで、どう見ても100%そっち系で、バスのみんながビビり上がるため、当方らは嬉しくて堪らず、得意得意であった。
バス停の少し上に大宮映画館があり、当方らはフリーパスで横の出入り口から入り、一年中タダで観放題。皆さん顔見知りで毎度ニッコリ笑って通してくれた。日米の最新作は漏れなく全部観させて頂き、当方など恥ずかしながら、当時の映画全般に異常に詳しい。当方位映画を見捲ったものは先ずいない。
高三の時、盗人辻本優某から映画に誘われたのが多分これで、大宮町近辺のクラスメート女らと暗がりでの猥褻淫行つきで、後々考えるともったいないことをしてしまい、慙愧に耐えない。当時はただキタナイという想いしかなく、それが校風であり、普通。
あそこには薬局が四軒あるが、武〇薬局のオヤジは一級下で、15歳当時からオヤジ顔で目つきが宜しくなく、一癖ありそうで、その通りであった。前組合長だった山〇薬局のご主人はしごくまともで、見た目通り。饅〇ヤのオヤジもしかりで、ニッコリ笑って人を切るタイプと思う。
印鑑やさんは、弟の命を救ってくれた大恩人であり、小学六年のとき母と一緒にお礼に出向いたことがある。山崎海水浴場の岩場で弟が深みに溺れ意識不明のところを、沖を通りかかったエンジンボートで医者のところまで運んでくれた。その息子さんが二代目の彼で、多分弟の同級生。本人はこれを知らず、当方が誰かも多分知らないはず。
なので、あそこん役員連中(武〇のオヤジのみ)が必死に逆らうが、元々は当方らのシマであり、連中は後発の居候の分際で、大家筋に対し口の利き方を知らない。
ネットに詳しい洋〇やの人はやる気満々だったが、武〇のオヤジのとばっちりを食ってしまい、エライ迷惑。悪口ではない。
なので、軽くリベンジ可。
サービス11
https://www.youtube.com/watch?v=EwLDSgkhIW4